芳しくない記録も残したが、記憶に残る横綱だった。最後の二場所は、見ている方が辛くなるような相撲が目立ったが、横綱の地位を去らなかったのはなぜか。自分はまだ出来ると思ったのか、応援する人の期待に応えなければ、と考えたのか、それとも意地だったのか。今思えば、左胸から腕にかけてテーピングで固めた姿は痛々しかった。その状態で千秋楽に勝利し、二場所連続優勝を飾った。今でもその勇姿を、国民の多くが鮮明に焼き付けている。その瞬間、横綱稀勢の里の前途に、私を始め不安を抱いた人も多かったのではないか。結果、最後まで不本意な姿をさらけ出すこととなった。思い起こせば、2000年1月に貴乃花、3月に若乃花が国技館から姿を消した。18年前となるが、そこから日本人の横綱は不在だ。そんな時、待望した日本人横綱が出現した。相撲界、マスコミはこぞってニューヒローと持ち上げた。本人も期待に応えようと、一心に努力してきたことは否定できない。どこかの親方が言っていたが「下半身の鍛え方が足りない、もっと四股を踏まなければ柔軟な下半身は作れない」と。それを怠った横綱であったが、下半身に何らかの欠陥をもっていたことを、自ら口を閉ざしていたのかもしれない、とも思いたい。