昨年9月憲法九条が、保守政党により解釈改憲された。今回の国会論議やマスコミの報道
を通じて改めて憲法が身近となった。中でも「安全保障法」の論議で、憲法は「国家権力を規制し国民を守る」ものだということに納得がいった。これが立憲主義といって、憲法で最も重要な部分だ。ところが、議論の結末は、国の権力者が多数をもって、憲法を「解釈改憲」して憲法九条を形骸化させるという結果となった。本来は国民投票で、真意を問わなければならない課題だ。法案が一人歩きして、同盟国に寄り添い、世界中で戦争する国になる可能性も含む。大袈裟かもしれないが、ヒトラーがワイマール憲法を形骸化して、戦争への道を開いた再来とならなければよいが。
保守政党が、数の力で相手をねじ伏せる国会の外では、既成政党とまったく関わりがない「シールズ」という若者の集団が、これまでの集会の様相を一遍させたことは、今後の日本の新たな民主主義の萌芽となることだろう。ごく普通の若者が、保守政党の言動に「何かが違う」と感じ発言した。それもお仕着せの主張でなく、自由な自らの言葉を発信していた。以前の集会は政党が先頭となり、特定な考えを同じように主張することが多かった。この行為は否定するものではないが、様々な思いで集まる集会なら、何も皆が同じ主張でなくとも良いだろう。このような集会の形態なら、人々の心を揺り動かし、さらに多くの人の心を捉えられるだろう。シールズに共感する若者が増えることを期待したい。